富沢中学校卒業式
2025.3.8

富沢中学校父母教師会会長を皆さまのおかげさまで3年間務め、次男の卒業式にて、保護者を代表し、下記のとおり祝辞を述べさせていただきました。
三年生の皆さん、そして保護者の皆様、本日はご卒業、誠におめでとうございます。
卒業生の皆さんが、本日この校舎を巣立つ日を迎えられましたのも、三年間、学校生活をお支えくださいました寺田校長先生はじめ教職員の皆様、そして、地域行事に参加し、様々な貴重な経験させていただきました地域の皆様のおかげさまであると深く感謝申しあげます。
卒業生の皆さん。皆さんにとって中学校の3年間は勉強し、部活を行い、友達をつくる。楽しい思い出の詰まった時間であったと思います。
卒業生の皆さんには次の高校生活まで少し時間があるかと思います。その時に今一度、この3年間を振り返る時間を設けてみてはどうでしょうか。先生から自分の何気ない行動に目を配っていただき、温かい言葉をかけていただいたこと。苦しい部活の練習を乗り越えた時にチームメイトから感謝されたこと。そして、目の前にいる友達が自分のことを大切に思ってくれている気持ちを感じることができたこと。自分にしかない評価をそれぞれに受け止めてもらい、自信をもってこの中学校を卒業してください。
さて、三月は卒業式の季節であり、宮城県民にとっては忘れることはない東日本大震災の月でもあります。来週にはその発災日、十四回目の三月十一日を迎えます。富沢中学校は地域の指定避難所として、震災当時、約千二百名の方々がこの校舎に身を寄せました。生まれて間もない皆さんの中には保護者に抱えられ、ここに避難した方もいるのかもしれません。
私も発災当日から避難所運営に対応しましたが、先の見えない不安の中、避難された皆さんと必死の毎日を過ごし、皆さんの先輩である当時の富中生は、プールからトイレで使用する水を運び、共に避難所運営をしてくれました。
本日卒業する皆さんの生れてからの歳月は、ちょうど東日本大震災の復興を歩んできた歳月と重なります。皆さんにとって思い出の詰まったこの校舎は、震災から今日までを歩んできた日々、地域の皆さんにとっても、その原点といえる場所でもあります。
私達の人生はどんな状況にあっても一日一日とその時間が流れます。
宮城県に住む皆さんが懸命にその一日、一日を積み重ねてきた。その集約が復興を成し遂げた宮城県の現在の姿であります。
皆さんと同じ学生時代に野球に情熱を奉げた私から、同じ野球人としてその立場は遠く及びませんが同年代であり、今年、日本人選手としてはじめてアメリカの野球殿堂入りを果たす偉業を成し遂げたイチロー選手の言葉を、皆さんの門出への花向けの言葉として送ります。
『小さなことの積み重ねが、とんでもないところへ行くただ一つの道』
これから先の未来は皆さんのもっている無限の可能性を寛容に受け止め、活躍するステージを用意してくれているはずです。それには、その未来に向け、日々の小さなことを大切に積み重ねて欲しいと思います。皆さんのこれまでの努力は決して皆さんを裏切りません。この富沢中学校で学んだ皆さんには、震災から復興の一日一日を大切にし、未来への満ち溢れた想いが詰まった、この校舎のエネルギーが注ぎ込まれていると思います。これからも日々の小さなことを積み重ね、とんでもないところに行ってほしい、そう心から願い、この言葉を送ります。
保護者の皆様におかれましては、今日の日を迎えられましたこと本当におめでとうございます。今日までのご苦労にご慰労申し上げ、お子様の健やかなご成長をご期待申しあげます。
結びに、富沢中学校父母教師会を代表し、これまでの三年間、皆様のPTA活動に対する深いご理解とご協力に、心より感謝申しあげますとともに、本日卒業する皆さんの門出に心からのエールを送り、祝辞とさせていただきます。
仙台市立富沢中学校父母教師会 会長 佐々木 幸士
また、PTAから卒業記念のフォトスポット幕を設置させていただきました。
